『日本原住民と天皇制』太田竜 新泉社
序章 日本原住民史から天皇制を見る
はじめに
かつて旧明治憲法時代に、日本歴史は学問領域の問題ではなくて、治安維持法(「国体」維持)と内務省警保局特攻警察の問題であった。それゆえ、一九四五年八月の敗戦と、それにつづく米占領軍による体制変革までの東大国史科を中軸とする日本史学アカデミーとその学者たちは、科学や学問の名に値するものではなくて、内務省警察官僚のみじめでみにくい学問奴隷にすぎなかった。
それでは、敗戦後の日本史学はどうなったのか。
旧憲法時代の皇国史観の絶対支配の体制は半ば崩壊した。しかし彼ら権力者は最後の一線で持ちこたえた。それが現憲法の、天皇を日本国民統合の象徴とする規定であるが、実体的には関西地方その他の重要な皇室関係古墳の発掘調査を拒否しつづけること(それを発掘すれば、天皇家が高句麗、新羅、百済の王家の出先植民地権力者であったことの物証がワンサと出てくるであろう)、古事記、日本書紀の偽史としての性格を蔽いかくすこと、それを正史として守りつづけること、ということになる。
敗戦後、日共系のマルクス教条学派が大量に日本史学アカデミズムの中にポストを獲得したわけであるが、彼らは日本古代史についてはせいぜい戦前の津田左右吉の説の二番せんじ、三番せんじに甘んじたにすぎず、この三十五年の間、アカデミズムの中で彼らが巨大な権力と権威をふるったにもかかわらず、彼らの行った新たな創造的発見、発展はゼロと言ってもよい。記紀そのものの偽造性格については、彼らは一指も染めることができないという、無能さをバクロしてきたのである。そしてこの日共系、および労農派系旧マルクス主義のみでなく、一九五〇年以後の反スタ新左翼マルクス派も、この点については同罪であった。
むしろ、突破口は、日本史専攻ではない他の分野の学者、あるいは作家、在野の研究者、おおむねマルクス主義(旧左翼、新左翼を問わず)とも皇国史観とも無縁の立場の人々によって切り開かれているのが現実である。
さらにもう一つ、天皇制偽史シンジケートによる記紀に始まる日本古代史の偽造を、完膚なきまでにバクロし、論破し、ひっくり返した要因を挙げることができる。それは、日本帝国主義の占領からの解放後の朝鮮、とりわけ、韓国の歴史学会の業績である。
最後に、旧憲法時代に、共産党と同じくらい、あるいはそれよりはるかに苛烈に警察によって弾圧されて来た古神道(国家神道への系列化を拒否する神道派)、原始神道系の人々の活動(それは、当然にも現天皇が外からの侵略者であり、ニセモノであることを明らかにする)が敗戦後自由化されたことを指摘しなければならない。
以上の三つの要素について私自身は、一九七〇年代の十年間を通じて、大きな興味と関心をもってフォロウして来た。そうこうしているうちに、経済復興と超高度成長によって自信を取りもどした日本国の体制側は、一九八〇年代早々、天皇元首規定と戦争権を軸とする憲法改正を具体的日程にのぼせるに至り、この手順の中の重要なテーマの一つとして、皇国史観の今日的形態での復活、すなわち、日本史、国史問題を前面に押し出そうとしている。
そういうわけで、いま、日本歴史問題は、またもや、単なる学術的問題、一つの専門領域の問題の枠を超えた、緊要な政治問題、全人民的、全国民的、民族的問題としてすでに発火してしまったのである。単なる過去の問題ではなくて、日本民族の近い将来の道、方向を決するテーマとして、焦点に据えられているのである。そしてしかも、今日、政治の分野で新旧左翼が陳腐化し、無力化・無効化しているのと同じく、この日本史の分野でも、在来の新旧マルクス派、ないしリベラル派は、言うべきことばを失い、方法論を失い、ボロボロに破産しつくしているのが現状である。
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